Capriccioso

とりあえず雑記帳

多芸は本当に無芸?『マルチ・ポテンシャライト』

私は結構いろんなことに興味を持って、勉強するのも嫌いじゃないのですが、何をやっても長続きしません。

ある程度のところまで行ったら、満足する、というか、飽きてしまって情熱を持ち続けられないのです。

つい最近までこれは私の欠陥なのだと思っていました。

 

極めることに興味を持てない

90点を95点にするのは難しいし、95点から98点に伸ばすのはさらに難しい。それに比べると0点を80点に持っていくのはずっと簡単です。

何を学ぶにしても、初心者の頃は新しいことを学ぶとすぐに上達が実感できますが、ある程度のレベルに達すると上達が遅くなります。

この「頑張っているのに上達しない感じ」が苦痛で、それだったら全然違う別のことを、ゼロからスタートしてみよう、という発想になるのです。

これは、見方によっては途中で投げ出しているようにも見えますし、私自身もそう考えて自己嫌悪に陥ることもよくありました。

でも、一方では「趣味がたくさんあって楽しそうだね」と言われることもあります。

そして、こういうタイプの人間は私だけではなく世の中に結構たくさん存在しているのだと知りました。

 

マルチ・ポテンシャライト

複数の(multi)可能性(potential)を持つ人という意味のこの単語は、偶然見つけた本のタイトルで知りました。

この本は、私と同じようにいろいろなことに興味を持つけど長続きしない、ということに悩んでいる人に向けて書かれた、キャリアの指南書です。

読んでいて「そうそう! それ!」と膝を打つことが度々ありました。

とはいえ、著者自身もこの本の中で紹介されている人も、みんなキャリアがすごすぎてちょっと眩しすぎるのですが。

 

考えてみればマルチ・ポテンシャライトという言葉が生まれる以前から、芸能・アート系の人は多才な人が多いですよね。

最近ではテクノロジー分野の人も複数分野での活躍が目立ちます。

 

器用貧乏

「器用貧乏」というネガティブなニュアンスで使われる言葉もありますが、よく考えてみたら、ほとんどの人は器用ですらないただの貧乏なのではないかという気もしてきます。

何かの分野で90点以上のプロフェッショナル、専門家、職人と呼べる人はそれほど多くないのではないでしょうか。少し傲慢な言い方かもしれませんが、職場で周りを見渡してみても多くの人はこれと言った専門性もなく、かと言って得意なことがたくさんあるようにも見えません。(もちろん職場によっても違うだろうし、仕事と違うところで能力を発揮している人もたくさんいると思います。)

だとするといろんな分野で80点取ってる人はもっと誇ってもいいはずなのです。

実際、専門的な職種を除けば、普通の会社にとっていわゆる有能な人というのはある程度なんでもできるというタイプの人が多いように思えます。

 

名前が付くと安心する

今まで「器用貧乏」とか「多芸は無芸」とか、ネガティブな言い方しかなかったところに「マルチ・ポテンシャライト」というポジティブな名前が生まれました。

この効果は結構(私にとって)大きくて、なんとも言えない安心感と自信を与えてくれました。

「普通の人」だと思われたくない反面、ラベルやカテゴライズを求めるのは矛盾している気もしますが、人間ってそんなものなんでしょうね。

もし同じような悩みを持っている方がいたら、これからは「器用貧乏」なんて思わずに「私はマルチ・ポテンシャライトなんだ!」と思ってみてください。